ピクサー・アニメーション・スタジオ Wiki
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テンプレート:ActorActress ジョン・アラン・ラセターテンプレート:En, 1957年1月12日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッド生まれの、映画監督、兼アニメーション作家。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオピクサー・アニメーション・スタジオ両スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであり、またディズニーパーク等の企画開発を行うウォルト・ディズニー・イマジニアリングのプリンシパル・クリエイティブ・アドバイザーでもある。

来歴[]

高校生の頃からアニメーターを目指し始め、1979年カリフォルニア芸術大学の映像学部("Film/Video"科)アニメ課程("Character Animation")の第一期生として入学、アニメーションを学び美術学士号("Bachelor of Fine Arts")を取得。在学中、1979年制作の"Lady and the Lamp"と1980年制作の"Nightmare"で"Student Academy Award"(学生のための映画賞)を受賞している。また、後にピクサー作品の制作に携わる、ジョー・ランフトブラッド・バードも同大学出身でラセターとはこのころから交友がある。在学中は並行してディズニー作品にかかわり、『きつねと猟犬』や『ミッキーのクリスマスキャロル』の作画をしている。

卒業後ディズニーに入社した彼は、『トロン』を見てCGアニメーションの可能性を感じ、手描きのキャラクターとCGの背景を合成した実験作『Wild Things』を制作、さらにトマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』のCGアニメ映画化の企画を進めるが、逆にCGに仕事を奪われることに危機感を抱いていた社内の反発によりCGプロジェクトは中止、ラセターも解雇された。

1984年、ちょうどCGアニメ短編作品のためにCGに精通したアニメーターを探していたエド・キャットムルと出会い、ルーカスフィルムの子会社であるインダストリアル・ライト&マジック(ILM)に入社、コンピュータ部門(コンピュータ部門には当時3つの部署があったが、そのうちの1つのピクサーの前身団体となる部署)で『アンドレとウォーリーB.の冒険』にアニメーターとして参加している。 また『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』でのステンドグラスの騎士の映像制作にも参加している。 その後、彼の所属する部署がスティーブ・ジョブズに売却され、1985年独立企業としてピクサーが創立される。それの創立に携わりピクサーに移籍し、そこで3DCGアニメの作成をはじめ、同時に短編作品の発表を始める。彼のピクサー内の仕事の担当はCM作成および、CG作成であった。1986年、ピクサーでの初作品でまたラセターの初監督作品である『ルクソーJr.』(ピクサーのロゴになっている)を、SIGGRAPHにて公開。1988年に公開した『ティン・トイ』で3DCG作品として初めてアカデミー短編アニメ賞を受賞している。

1991年ピクサー社が従来の主力部門であったシステムやコンピュータの販売部門を縮小し、CG作品の製作に力を入れ始めたことを背景に、ピクサーでの長編CG作品の作成が決定する。ラセターの今までの実績を踏まえて監督に任命される。この作品は1995年に『トイ・ストーリー』として公開され、大ヒット作品となる。また長編フルCGの作品を生み出した製作チーム統括の業績に対し、ラセターはアカデミー特別業績賞を受賞した。その後もピクサー作品の多くで監督を勤めている。

2006年5月5日ウォルト・ディズニー・カンパニーによるピクサー買収により、ラセターはピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。またウォルト・ディズニー・イマジニアリングのプリンシパル・クリエイティブ・アドバイザーとして、ディズニーパーク等の企画開発にも携わるようになった。

豆知識[]

  • 1980年代から宮崎駿との交流があり、同時に宮崎駿の大ファン。1987年の初来日時にはスタジオジブリを訪問している。その縁で、ジブリとピクサーは会社ぐるみの交流がある。また宮崎駿監督の作品『千と千尋の神隠し』のアメリカでの公開に際し、宣伝活動、翻訳総指揮を行っている。
  • 彼のディズニーでの最初の仕事は、ディズニーランドでジャングルクルーズのスキッパー(船頭兼案内役)をやったこと。
  • ラセターは、1988年3月22日BSDデーモン君を最初に描いたイラストレータである。
  • カルフォルニア芸術大学の在学中の同期には映画監督ティム・バートンがいる。
  • 彼が監督を務めるトイ・ストーリーシリーズに出て来る「バズ・ライトイヤー」は彼本人の顔を元に作られている。

作品[]

長編作品[]

短編作品[]

  • 1984年 - 『アンドレとウォーリーB.の冒険』 The Adventures of Andre & Wally B. (キャラクターデザイン・アニメ製作)
  • 1986年 - 『ルクソーJr.』 Luxo Jr. (監督・プロデュース・脚本)
  • 1987年 - 『レッズ・ドリーム』 Red's Dream (監督・脚本・アニメ製作)
  • 1988年 - 『ティン・トイ』 Tin Toy (監督・脚本)
  • 1989年 - 『ニック・ナック』 Knick Knack (監督・脚本)
  • 1991年 - 『ルクソーJr./Surprise』『ルクソーJr./Light and Heavy』 (アニメ製作)

出演作品[]

  • 2003年 - 『ラセターさんありがとう』(DVD作品、販売:ブエナビスタホームエンターテイメント)

参考文献[]

  • 大口孝之『コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション』フィルムアート社 ISBN 978-4-8459-0930-8

外部リンク[]

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